フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

聖書預言の解釈の難しさ

ゼカリヤ書13章の7節で「 剣よ。目をさましてわたしの牧者を攻め、わたしの仲間の者を攻めよ。―万軍の主の御告げ―牧者を打ち殺せ。そうすれば、羊は散って行き、わたしは、この手を子どもたちに向ける。」これはイエスご自身が「今夜あなた方は私につまずきます」と言われたときにこの預言を引用されました。ペテロが皆がつまずいたとしても私だけはつまずかないと言った、あのイエスが捕えられる時の有名な場面です。ある牧師は「剣」は宗教指導者たちのことだと解釈していました。そういう解釈もありますね。剣はこん棒や剣を持ってきた人たちで、「目をさまして」とは「しっかりとこの預言を果たせ」ということで、「牧者」はイエスを指し、「わたしの仲間の者」は弟子たちのことです。今ならはっきりと分かります。「牧者を打ち殺せ」とあるので、イエスの死は父なる神の救いのご計画であり、ユダ・イスカリオテ(滅びの子)以外はみな散らされることで命を失わないようにされたということです。「羊が散って行き」を西暦70年以降のクリスチャンたちのことと解釈する人もいます。

それでは、次のゼカリヤ13:8~9はどういう意味でしょうか?

 

8 全地はこうなる。―主の御告げ―その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。

9
わたしは、その三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金をためすように彼らをためす。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは「これはわたしの民」と言い、彼らは「主は私の神」と言う。

 

ある解説ではこの預言はユダヤ人のことで地上にいるユダヤ人の三分の二が死に、三分の一が生き残ると教えています。本当のことは誰にも分かりません。わたしは、この地上の信者の三分の一が生き残り、信仰の無い者たちの三分の二が死ぬと考えています。人類の最終結果のことと思います。三分の一が信仰が純粋な者となるように火の中(大艱難)を生きて通過し、この過程で試され、その後キリストの地上再臨の前に大群衆として天に携挙されると考えています。