フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

神が人間に命じることはみな行なう、なぜ?

自分のことは神が考えてくださるので、あなたは心配することはないのです。神にお任せすればよいのです。自分のことを考える人が多くいますがそういう人たちに神の愛はない。見込みのある人があなたにこう尋ねるでしょう。自分を犠牲にするのはなぜですか?その時、こう答えることです。「わたしはあなたを愛している」まさにイエス様が行なわれたことです。パウロは自分がたとえ呪われても、同胞が救われることを願った。これが救われている人の考え方です。悪人ほど自分にこだわり、他人はどうなってもいいから自分は生きたいと思うようです。自分を救おうと思う者はそれを失う。主イエスのために自分の命を失う者はそれを得るとイエス様は証しされました。このことが頭ではなく、霊的体験によって分かればよいのです。こういう人の命はすでにその人のものではなく、父なる神のものになっています。そういうあなたであれば、何も心配することはありません。あなたは自分のためではなく神と隣人のために生きればいいのです。それを毎日続けることです。たとえ隣人のために生きてもその隣人からは何の益もないかも知れませんが、そのかわりに終わりの日に天に宝を蓄えたあなたに神が祝福された者として報いてくださるのです。これと反対の生き方をすれば、呪われた者として滅びるでしょう。ですから、神の愛をどうしても最初に分かる必要があるのです。愛がわかれば主イエスに従う気持ちになるからです。神は愛です。ハレルヤ、アーメン。