フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

神の愛の内にとどまっている

「愛の内にとどまっていなさい」この命令を守ろうと思いますか?この命令の意味がわかりますか?「救われた状態にとどまっていなさい」ということです。ここから出てはなりません。この命令を守るために祈りましょう。神に邪悪な良心を清めていただきましょう。たとえ罪を犯してもイエス様がおられますが、聖書に書かれているように主イエスが死なれたのはクリスチャンが罪を犯かさなくなるためです。神の再生する種である御霊を持っているからです。罪は不法です。たとえ教会で説教をしていても、説教を聞いていても、教会の活動をしていても、キリストと結びついていなければ、「不法を働く者よ、わたしから離れ去れ」とイエスから言われることになるからです。神の栄光を知るため、栄光の神と共にいるため、聖書をよく読んで意味を悟れるように祈りましょう。そして神の御心である「愛と聖さ」を保つ教えを実践します。実践出来ませんか?御霊を求めましょう。いつ御霊を受けるかは、わたしには分かりません。個人差があるからです。与えられるまで、神の憐れみと聖霊を求め続けましょう。神から新しく生まれなければ、救いはないからです。わたしは主イエスが語られた教えを固く信じています。以下に救われる方法が書かれています。すべてのキリストを信じるという人はこれを実践することです。すでに求めたがなかなか得られないと思う人は今まで以上にもっと激しく求め続けることです。こういう信仰と愛を神は求めておられます。「罪を犯すのは仕方がない。主イエスがおられるじゃないか。」という考えが反キリストの教えなのです。パウロは聖書でこんな教えを書いていませんね。こういう生き方をすることが十字架に逆らった生き方なのです。聖書をこのブログでお読みいただいた方たちには理解出来ると思います。教会では教えない真理です。知りたい内容は、どうしたら子に自由にしていただけるかです。

 

以下参考聖句

 

ルカ11:5~13

 

5 また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。

6
友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ』と言ったとします。

7
すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締りもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』

8
あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。

9
わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。

10
だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。

11
あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。

12
卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。

13
してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」