フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

神の御考えと人間の考え方の違い

神の御考えは違うのです。人間の考えより高いからです。たとえば、タバコの火が森林体を燃やしてしまう前にすぐに火を消し止めたほうが、賢いと人間なら考えます。アダムと悪魔が原因ですべてのものが巻き込まれてしまいました。これが悪夢の始まりです。なにが分かったかというと、被造物の忠誠です。自由意志を持った被造物が一体神に従うのか否かです。すべての被造物(人間、御使い)は試されなければならないということです。テストに合格すればいいのです。被造物はもとを正せば存在していなかったのですから。自由意志を持った被造物が神に忠誠を保って生きることを望むか否か。このために世界は存在しているのです。望むと望まないとにかかわらず人は今この世界に存在しています。ここにまず人間が考える矛盾があります。しかし、神の御考えは愛を持って創造した被造物に生き続けてほしいのです。わけが分からずに存在している人間。福音を聞くことができたら、命を選ぶのかどうか?個人個人が選べばよいのです。忠誠を選ばないなら神にとって無用の存在となります。命を選ぶなら、神のみこころに適う者となります。存在したくなかったら死を選ぶでしょう。死を愛する者です。それも個人の自由意志です。一方、命を選びたいと願う被造物もいます。罪を犯している人間は死ぬしかありません。しかし神は生きたいと願う人間を救いたいと願っておられます。死刑の判決を下された人間を救う方法は、死ぬべき人間を救うために死んではならない罪なき方が身代わりに死ぬことによって本来死ぬべき人間が法的に死刑を免れるという方法しかありませんでした。ここにも矛盾があります。死んではならない方が死ぬことです。矛盾と人間には思えることも実は神にとっては理由があるのです。人間は神に忠実であることを選び命を選ぶことが神に期待されています。そこですべての人間はテストを受けなければなりません。そのためにこの世界が存続しています。例外はありません。命を選ぶことを決めた人間は、キリスト・イエスの身代わりの死と復活が自分のためであることをまず信じることで、神はその人の罪を赦し、正しい者と認めてくださいました。次に聖霊を与えてくださることで、人間をキリストに似た聖い者にしてくださいます。神の国にふさわしくなるためです。聖くなければイエスに会うことはできません。神の働きです。人間はこの霊的成長に素直に従います。そうすれば、キリストのようになります。そして第一の復活によって新しい体を受けることで、救いが完成します。それまでは、死をきたさない罪を犯すでしょう。悔い改めて赦されます。聖霊に対する侮辱、キリストを愛さずに捨てる、ことさらに罪を繰りかえすことが、赦されない罪です。御霊によって歩むことで罪に定められることはありません。肉の歩みは死です。その傾向を人間は持っています。自制の実によって罪から離れます。御霊は助け主です。人を聖くするからです。父なる神とキリスト・イエス聖霊神です。父なる神に対する悔い改めとイエスに対する信仰により御霊を与えられ聖くされることで、神のテストに合格します。死に至るまで忠実であることを示すことで合格です。すべての人間が受けなければならないテスト。このために世界は存在しています。救われる人たちの人数が満ちた時、人間は二つのグループに分かれています。この段階でキリストが地上再臨されます。携挙がありこのグループは救いを受け、残りは一部の人たちを除いて滅び、千年王国に入ります。最後の審判後の新天新地が最終ゴールです。