信仰は行ないで証明される。世の牧師が甘い愛の話しをしてそれを真に受けていると大変だ。命を懸けた信仰こそ真の信仰である。それ以外は信仰ではない。また罪を犯し続ける者は、悪魔の子である。神の子は罪を犯せないと聖書に書いてある。そこで、もし自分が罪を犯し続けているなら、思いを作り直さなければならない。自分の中で勝手に作り上げた妄想が原因であるからだ。それを否定して、古い人格を脱ぎ捨てる必要がある。時間がかかるかも知れないが、イエス様に自由にしていただくために必要である。新しい白い衣を着せていただくために。誘惑は必ずある。あってもいい。心を定めて、自分の感じ方、考え、どう思うかは無視してよい。神のみこころに従うと決めておくことだ。イエス様も40日間、断食をして空腹を覚えられたとき、その時、悪魔が来て、もし神の子なら石をパンに変えてみよと誘惑した。だから誘惑があっても負けなければいいだけだ。神のみこころとは、神の望まれるすべてのことと前回書かせていただいた。神の王国に入る人は神のみこころを行う人だけだからだ。人間は弱いからは聞き飽きた。信仰は決して弱くない。むしろ世に打ち勝つほど強い。なぜなら神の御霊の力が働くからだ。イエス様に罪から自由にしていただくために、真の信仰を持つようにしましょう。十字架の意味を間違って理解している人が多い。罪を許されたのなら、もう、罪は犯せない筈だ。それを行ないで証明しましょう。