フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

悔い改めとは?

9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

10
しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

11
このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。

12
そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。

13
しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。

14
そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。

15
また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。

16
その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。 (ペテロ第二3:9~16)

 

 

「主は、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる。」

 

「あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。」

 

「しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」

 

 

悔い改めとは、「聖い生き方をする敬虔な人、しみも傷もない者」となることです。しかし、こういう生き方は、神から選ばれた人にしかできません。ペテロは、全員ではないかもしれませんが、御霊をもっている当時のクリスチャンたちに語りました。恐らく、当時の彼らは自分を十字架につけ、御霊を受けていたと思われます。彼らはヨハネが手紙に書いた、罪を犯せない状態になっていたと思われます。彼らは勝手にそのように妄想しているのではなく、現実にそうなっている状態です。現代のクリスチャンたちが、願っている聖霊バプテスマです。どんなに願っても現代人が御霊を与えられない理由は、彼らが罪を犯し続けているからです。肉の働きを殺せないでいることが原因です。もし、このブログ読んでいるあなたが、肉の働きを殺すなら、あなたは御霊によって新しく作り変えられるため、生きるのです。イエスの御名に信仰を持つ者は、永遠の命を持っているのです。アーメン。

 

キリストと共に死ぬなら御霊によって生かされる

20 もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、

21
「すがるな。味わうな。さわるな」とうような定めに縛られるのですか。

22
そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。

23
そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。( コロサイ2:20~23)

 

「肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。」

 

まさに、呪われた状態です。神が人間に対して望んでいることは、悔い改めですが、それは単に見方を変えることではなく、人間が聖い生き方をすることでした。しかし、神は望まれているにも関わらず、奇跡で人間を変えることはされませんでした。それはノアの時代も現代も同じです。結局、ノアの家族以外は滅びました。これが、何を意味するかを自分でよく考えて見てください。

 

キリストによる救いはあなたが十字架につくことから始まる

エスさまを信じているなら、イエスさまのようになる必要があります。御霊を受けなければ救いはありません。イエスさまが行われたことは、十字架で死なれ、復活したことです。奥義を伝えます。あなたが、十字架で古い人格と情欲と欲望を十字架で殺すなら、復活します。復活とは、御霊を受けることです。この御霊が新しい命なのです。この人は、罪を犯せません。主イエスと共に死んでしまった者は、罪が許されているからです。この人が、イエスの名により、永遠の命をもっているのです。ヨハネが手紙で語っていたことです。十字架で死んで復活していない人には、ヨハネが語った、「イエスの名に信仰をもつ者は永遠の命をもっている。」ということばは、当てはまりません。信じる者とは、自分をイエスさまのように十字架に付け、一度死に、御霊を受けて復活する人のことです。これが、もう罪と戦わず、誘惑にも決して負けない人です。もっとも、誘惑など死んだ者にはありませんが。命をもたらす霊の法則が罪と死との法則からあなたを解放したという聖句が、あなたの上に成就していないなら、あなたは、キリストに属していません。SNSで多くの牧師たちの救いの教えや救われる方法を話しているのを聞く限り、この状態に達した牧師は一人もいません。このブログで語った奥義こそ、救いに関するあらゆる論争を終わらせる教えです。もともと、パウロも、ペテロも聖書にすでに書いていることです。それは、救いとは、イエスさまのように自分を十字架につけること、そして御霊を受け、新しい命に蘇ることです。神はご自分が望む者に御霊を与えられます。この話は、単なることばではなく、現実に起こることです。体験者の証しです。わたしはこれを証ししなければならないのです。御霊を受ける人は、聖書に書いてある証しによれば、この世界が創造される前から、選ばれていた人たちです。アーメン。ハレルヤ。

あなたがたは、力の限りをつくせ

実を結ぶために、力の限りをつくすようにペテロは教えています。御霊を受けた者たちに対する命令です。この努力によって救いを確実なものとすることが出来ます。今は世に、これと反対のことを教える偽教師たちが大勢出てきました。サタンに属する闇の世とキリストの真のクリスチャンたちとの霊的な戦いです。やはり、神の教えはこう教えます。「実を結ぶために力の限りをつくせ。」と。もともと救いのあり方はこういうものです。イエスさまの十字架以後も、救いに対する考え方に変わりはありません。真の福音だけが、あなたを神の国へと導きます。アーメン。

 

 

あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、 知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、 信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。 これらのものがあなたがたに備わって、いよいよ豊かになるならば、わたしたちの主イエス・キリストを知る知識について、あなたがたは、怠る者、実を結ばない者となることはないであろう。 (ペテロ第二1:5~8)

キリストの内にあって愛と聖さにおいて完全にされる

キリスト者である、わたしたちがキリストのようになること。御霊を受けた者は召しと選びを確実なものとするために、罪から離れ、すべての点において傷も汚点もない聖い生き方をする。そして多くの実を結び続けてイエスの弟子であることを示す。これによって父なる神が栄光をお受けになります。キリストの衣を決して汚してはいけません。これが、選ばれた者の生き方です。アーメン、ハレルヤ。

肉のむさぼりをどう殺す?

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。(ガラテヤ5:16)

 

ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。このようなことのために、神の怒りが下るのです。 (コロサイ3:5~6)

 

 

パウロの言うことは、神の啓示です。御霊によって歩むなら「肉の欲望を満足させるようなことはありません。」真のクリスチャンはこういう生き方をしています。これこそ、神の力、福音の力、救いの力です。果たして、肉を制することがあなたに出来るだろうか?制した者が世に勝利した者です。制することに失敗した者には、神の怒りが下ります。だから、パウロは、しつこく御霊によって歩め、歩めと勧めました。問題は現代でも状況は同じかどうかです。イエスさまを信じた人は御霊を受けるのか?です。むしろ、現代に生きる罪びとは、ペテロが手紙に書いてあるように、滅ぼされる時まで、罪の状態に閉じ込められているのではないかと思います。「しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。」(ペテロ第二3:7)恐ろしいことです。だから義認、聖化、栄化の教理によって栄化までは罪を犯し続け、天に引き上げられてから完全にされると考えるのです。これは、多くの学者たちに支持され、福音派の牧師たちもそう考えています。しかし、真実は、そうではなく天に引き上げられることなく滅ぼされるのです。コロサイ人への手紙の中で、「地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。このようなことのために、神の怒りが下るのです。 」と書いています。この呪いの状態から抜け出すために、あなたは、思いを作り直して肉を自分で殺す。なぜ、殺せるかについて。あなたが望まないことであれば、罪を犯すことは出来ないからです。あなたが好きなものを好きでなくなるまで、思いを作り直す。そして義を愛し不法(罪)を憎むのです。それから、神によって罪からの解放が与えられるのです。アーメン。

神の国に入る方法

「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」(マタイ22:14)

 

選ばれるためには、主イエスが命じられたすべてのことを行う。あなたが行えば、イエスさまが共にいてくださる。おそらく、あなたは御霊を受ける。アーメン。

 

 

あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。 (マタイ28:19~20)