フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

神はこういう人を探し求めています

神は愛であるとヨハネ第一4:8に書かれています。神の愛を受ける人も実は愛がある。多分その人は求道者として神を探し求めていた人だ。途中であきらめずに神を求め続ける人が真理を見出すことになる。そして、その人は神と共に生きる人に変えられていく。神から離れることはなくなる。一方、自己中心的な人、今だけ、金だけ自分だけの人は全く興味を示さない。滅びゆく人たち、呪われた人たちは悪魔に生きたまま捉えられており、真理が分からないようにベールをかけられている。こういう人たちに、話しをしても全く我関せずである。それで、聖書では真理を見出してイエスを自分の救い主とした人たちをこの世界が創造される前から、または母の胎にいるときから神に選ばれていたと表現する。前者の人たちは闇の業を愛し、光に近づいてこない。金を愛し肉を愛し快楽を愛する。これは生まれながらの人たちであって実は私たちも彼らと同じだった。しかし神は驚くべき仕方で私たちを闇から光の中へ導き入れられた。私たちの信仰がそうさせた。神には不可能がないからだ。しかし、信仰がなければ神は全知全能であってもその人を救うことが出来ない。悪魔はそのことを知っている。信者であればこういう話を聞いて納得されるが、そうでない人には、全くわからない。動機は何でも構わないので、まず聖書を退屈であろうと、つまらなかろうと受験勉強のように、仕事のように読んでみよう。競争心からでもいい。分かるまで食い下がってみよう。分かるまで頑張ってみよう。決してあきらめないことです。この努力を神は求めておられる。この努力の結果、神はあなたにご自身が分かるようにしてくださる。つまり、真理である神の言葉と主イエス・キリストを見出すことになる。これで悪魔の支配からあなたは解放される。あなたは光に導き入れられ、救われる。そうなれば、あなたも、この世界が創造される前から神に選ばれていたと言われる。やはり、初めに、本人の死に物狂いの努力ありきなのです。神はこういう人を探し求めています。