フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

信じる者には、どんなことでもできるのです

人が信じるなら、神は約束を守られる。聖書預言は誰に対して語られているのか?救われる人は本人が信仰をもち、神がそれを可能にした人たちだ。神が人を変化させる。人は自分で自分を変えられない。新しい心を与えられた人は神がそうされた。神のご命令を人が行なえるのは神がそうできるようにさせたからだ。救いは信仰の無い人には与えられない。人間に信仰があれば救いは神が行なってくださる。神から聖霊を与えられ、みこころが分かり、神のみこころが行なえるようになる。病気の癒し、新しい心を与えるという預言は、イエスにより一世紀当時にまず成就し、未来において行なわれると考えられる。病の癒しについては今は顕著に見られない。新しいこころは現在も与えられていると思われる。信者が携挙されるときには救いが完成する。この人たちは王また祭司である。この時、イエスと似た体が与えられるので病気や死から解放されている。最後の審判後の新天新地ではすべてが新しくされる。神が人と共に住み、死もなく、悲しみ、叫び、苦しみも無くなる。スミルナの教会に対して、悪魔が与える苦しみに対して恐れてはいけない。「死に至るまで忠実であれ。 そうすれば、いのちの冠を与えよう。」(黙示録2:10) とイエスはスミルナの信者に約束された。これはすべての信者に当てはまる。他の聖書個所でも「最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」(マタイ24:13)とイエスは一貫して同じこと、救われる者の信仰(心的態度)について真実を語っておられるからです。