フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

信仰とは神と隣人を愛すること

エスに対する信仰は頭だけではなく、愛の実践となってあらわれます。これによって自他ともに神の愛を知り、救いに至ります。これ以外に救いはありません。頭でわかっていても実践しなければ何の価値もないのです。救いはないのです。はっきり書きました。もう一度言います。信仰とは神と隣人を愛することです。愛は律法を成就するのです。勿論、神と共に生きることでそれは可能となります。こころに神の霊がなかったパリサイ人たちには全く不可能なことでした。嘘の信仰で神を騙すことはできません。良いことが行なえないようなら、その人の信仰は死んでいます。悪霊も神を信じています。しかし彼らは、決してイエスに従いません。だから、教会に通っている毒麦の人たちも彼らに似ているというのです。悪霊はこう言いました。「大声で叫んで言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」(マルコ5:7)悪魔もヨブを苦しめる許可を神にお願いし、それをゆるされました。ペテロに対しても信仰を失わせることを神にお願いしました。しかし、イエスもペテロが立ち直れるよう祈りました。悪魔も悪霊も神にお願いをするのです。しかしイエスに従いません。信仰の伴った愛の実践が救いの鍵です。聖書を読まず、祈りもせず、隣人に無関心で愛の実践がなければ、悪霊とあまり変わりません。今の教会が悪霊の棲みかとなっているのではという意味がご理解出来たと思います。聖書で証しされているとおりです。未来の大バビロンは現在の教会なのです。神の霊を持ち愛を実践しているなら、もう救われています。神の愛から誰も引き離すことが出来ないからです。その人たちは言葉だけでなく愛を行動で示す人たちです。神が彼らと共におられるからです。栄光の神がいつまでも彼らと共にいてくださり、彼らを守ってくださいますように。アーメン。