フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

いつも油断せずに祈っていなさい

「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。 洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。 そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。 そのとき、畑にいるふたりといると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。 ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。 しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかっしょう だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。」( マタイ24:37~44)

 

エスが地上再臨される時は、人々はその時まで気にもとめず、ふいに襲われることになるということです。「ひとりは取られ、ひとりは残されます。」とイエスは預言されましたが、これは人の住む全地に臨むことで、御使いによる空中への引き上げ(携挙)を指すことと思われます。

 

大群衆の携挙については、次のように書かれています。「長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。」( 黙示録7:13~14)

 

選びについては、次のように書かれています。

「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」(黙示録7:3)

額に印を押される人たちがいます。救われる人たちで大群衆のことです。額に印を押される時期があり、終了する時が来ます。救いが終了するとは、ノアの箱舟の戸が神によって閉められた時と同じことが起こることを意味します。戸が閉められた時の状況についてイエスは次のように話されました。

 

「主よ。救われる者は少ないのですか。」と言う人があった。イエスは、人々に言われた。 「努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。 家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください。』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない。』と答えるでしょう。」 (ルカ13:23~25)

 

「努力して狭い門からはいりなさい。」とイエスは命じられましたが、イエスは次のように預言されました。

 

招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」 (マタイ22:14)

 

人間の住む全地の最終結果は次のようになります。

 

「全地はこうなる。―主の御告げ―その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。
わたしは、その三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金をためすように彼らをためす。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは「これはわたしの民」と言い、彼らは「主は私の神」と言う。」(ゼカリヤ13:8~9)

 

以下のイエスの教えに従いましょう!

 

狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ7:13~14)

 

「努力して狭い門からはいりなさい。」(ルカ13:24)

 

「あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから」   (マタイ24:44)

 

「しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」( ルカ21:36)