フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

結婚指輪と十字架

今回は少しいつもと違うお話しをしたいと思います。しるしには目に見える印と見えない印があります。自分が結婚しているなら結婚指輪をしてパーティーに行けば、不純な気持ちで配偶者以外の異性に声をかけることも、かけられることもないでしょう。不純な気持ちで異性を見つけようと考える人は指輪をはずしていくかも知れません。自分自身と相手を騙して異性に近づくためです。これは目に見える印です。見える印は、自分と他の人に自分がどんな人かを知らせるためです。目に見えない印についてはここではお話しません。神様はすべてをご存じだからです。何を言いたいのかと言うと自分が誰であるかを自分と悪霊に分からせるために十字架を使うということです。十字架はもちろん御守りではないし、拝むこともありません。人に見せるためでもありません。クリスチャンなら悪霊の存在を理解していると思います。悪霊が人の背後にいて私たちに厄介なうっとうしいことを仕掛けて来る時があります。そんな時、みなさんならどうしますか?父なる神に状況を祈りでもって伝え、その厄介な人にも伝えることです。これで解決出来なかったことはありません。すべてが解決しました。詳しい祈り方は書きませんが、パウロは呪ってはいけませんと聖書で教えていますが、イエスを愛さない者は神に見捨てられるがいいと手紙に書いた時がありました。ヒントはもちろん呪うことはしませんが、祝福もしないのです。ダビデの書いた詩編にも彼の祈りはきれいごとを祈るだけではありませんでした。重要なことは神が祈りを確かに聞いてくださり、通常なら簡単に解決しないことも、短期間に神が解決してくださることを自分自身が知ることです。確かに神は祈りを聞いてくださる方だと。次に悪霊の干渉についてです。これは私の経験ですが、人間が対象の場合と似ていて、目で見て自分が誰であるかを分かるようにするのです。祈りで悪霊が近づかないようにすることは出来ませんでしたが、自分がイエス様のものであることを自分自身と悪霊に分からせるために、十字架を身につけ(イエスの焼き印)部屋につけることで効果がありました。これで悪霊の干渉がなくなりました。十字架はファッションではありません。世の人たちのように服の外に出して見せるのではなく、人には見せないのです。悪霊は人に干渉してきますが、これで厄介な二種類の者(目に見える人間と目に見えない悪霊)からのうっとうしさからの対処法についてお伝えしました。十字架を見ることで、悪霊は去っていくのです。なぜなら私が本気であるからです。人間の場合は十字架を見ることはないので、祈りとその人と話すことで対処します。神が祈りを聞いてくださり解決してくださいます。