フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

義人でさえ、かろうじて救われる

この聖句から私たちは、厳粛なる事実を理解しなければならない。決して神の言葉を軽んじてはならない。神は聖なる方なので、私たちも聖なる者とならなければならない。この神の言葉もおろそかにできない。理由はイエス様とお会いできないからである。やはり、聖書に書かれていることは、今はできないから仕方がないと考えてはならないのだ。イエス様は弟子たちに「わたしが教えたすべてのことを守り行うように命じなさい」と言われた。そのすべてのことを守り行う者だけが救われる。これが厳然たる事実である。これが偽りのない正しい信仰なのだ。これを聞いてそんなことは難しくてできない、律法主義だと考えてよいのだろうか?教えてよいのだろうか?そう言う人たちはその教えが難しくないことを知らないのでは。神の子とされたクリスチャンは御霊によって歩むからである。だから、神と人との仲介者であるイエス・キリストと私たちとの間に誰をも入れてはならない。直接イエス様とつながるために。ぶどうの木であるイエス様と枝である私たち。父なる神は耕作者である。イエス様とつながっていなければ、わたしたちは何もできない存在であることを覚え、聖なる生き方をし、多くの実を結び神が栄光をお受けになる生き方をしていきましょう。