フツーの自己啓発

汎用性と再現性とその他

敵を愛し迫害している者たちのために祈れ

敵とは、多くの宗教指導者たちが考えている、敵国の殺しに来る敵たちのことではない。むしろ彼らからは逃げなければならない。ここでイエス様が言いたかった敵とは、家の者たちや神を知らない隣人たちのことを意味する。隣人とは強盗に襲われた人のように、本来助けを必要とする人たちのこと。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(マタイ7.12)敵を愛することとは、その敵である隣人に対して、イエス・キリストの名により命が得られることを宣教すること。相手が福音を受け入れれば、兄弟を得たことになり、聞かなければ、その隣人から離れなければならない。「こういう人々を避けなさい」(テモテ第二3.5)愛は選択的であり、条件付きである。「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない」(マタイ6.6)神は私たちが、まだ敵であったときにイエス・キリストの十字架での贖いにおいて、その愛をお示しになった。神はキリストを信じ、愛するすべての者を救う。信じない者を救うことはされない。これが神の義である。だから、愛(アガペ)は選択的であり、条件付きである。決して無条件ではない。神は善良な方であり、悪人にも善人にも御自分の太陽を昇らせ雨を降らせて下さる。しかし、主イエスを通して救うことが、父なる神の御心である。神は人間の限界をご存知であり、そのためにイエス様がおられる。イエス様を信じ受け入れた、わたしたちはイエス・キリストの義によって救われる。