神によって選ばれた一世紀当時の使徒たちと聖霊のバプテスマを受けた人たちによって神の愛と力、イエスの死と復活、神の王国について世界中に福音が宣べ伝えられた。ローマ帝国の圧政とユダヤ人たちからの迫害の中で。彼らは神によって強力にされた人たちで、今のクリスチャンたちより霊的にはるかに強くされていました。現代では聖書はすでに完成され、信者たちによる悪霊の追い出し、病人の癒し、死人を復活させることは現代では恐らくないと思われます。聖書に書かれているほどの働きなら皆無である。福音の宣教はどうだろうか?こちらはまだ続いている。未来においても宣教命令が出される。その時は神の霊がすべての人に注がれるでしょう。宣教は聖霊の働きによる。今の教会は眠っている。背教しており、小麦と毒麦の二種類の人たちが存在している。正しい聖書理解と信仰がない。だから神の霊が離れているように思われる。個別に神は聖徒をご存じなのだろう。真理の霊を持つ聖徒が現代の教会にもわずかにいると思われる。熱心な人たちのことだ。神はいつの時代にも熱心な信徒を探されている。イエスと共に十字架につけられた二人の強盗のうちの一人の強盗は次のようにイエスに信仰告白した。「私を思い起こしてください、主よ、あなたの御国に入られる時に」するとイエス様は彼に言われた。「まことに、あなたに言います。きょう、あなたはパラダイスの中で私といっしょにいるようになります」(ルカ23:42~43)TR聖書;と強盗はイエスに「主よ」と信仰を告白して救いを得た。この強盗は、肉が十字架についている状態である。この状態での告白である。簡単ではない告白である。本心から出た信仰である。たとえ悪人であっても、信仰をこのような気持ちで告白するなら人はイエスの義によって救われることが分かる。このような信仰告白は普通は出来ない。十字架上での告白だから。わたしたちも、十字架の上で苦しみの中で告白しただろうか?だとしたら、そのような信仰告白は本物だと思う。神の保護を受け、救いは確定する。「キリストは律法を終わらせました。それで、信じる者は皆、正しい者とされるのです。」(ローマ10:4) フランシスコ会訳
神を愛しているなら、神に知られている
神は神の御名に示したあなた方の愛を決して忘れません。神は御子によってあなた方を新しく生まれさせ、良い業に励むように導かれるでしょう。そして、たとえ死んでもあなた方を復活させてくださるでしょう。神に栄光と賛美と偉力が永久にありますように。アーメン。
身勝手な人間は悪を行なう
神は人間が神の掟を守ることを望まれます。そういう生き方のほうが人間にとって幸福だからです。神の祝福を覚えておきましょう。人間の行なう悪は本人にとっても他の人たちにとってもいいことはありません。このことをよく覚えておきましょう。イエスのように義を愛し不法を憎みましょう。悪を行なえば滅ぶだけです。聖書に書かれたかつて神に反逆した人たちがどうなったかを歴史から学び、賢く生きましょう。愛を実践し、善をもって悪を征服しましょう。イエスと共に歩みましょう。神と隣人を愛する人たちはみな、まだ見ぬ祝福の世界へ来るように神から招待されています。それは神が新しく創造する喜びの新天新地です。そこで神と共に永遠に生きるのです。
神がしてくださったことを覚えておきましょう
信仰についてイエスは次のように弟子たちに教えられた。
「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます」 (マタイ21:22)
「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 」(マルコ11:24)
わたしたちは、将来、神が行なってくださる祝福について「信仰によってすでに受けた」と信じましょう。
「見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。
だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。
わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。
そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。
彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。
彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。
彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは主に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。
彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。
狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない」と主は仰せられる。」
(イザヤ65:17~25)
ソロモンの箴言 10章
1知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみである。
2 不義によって得た財宝は役に立たない。しかし正義は人を死から救い出す。
3 主は正しい者を飢えさせない。しかし悪者の願いを突き放す。
4 無精者の手は人を貧乏にし、勤勉な者の手は人を富ます。
5 夏のうちに集める者は思慮深い子であり、刈り入れ時に眠る者は恥知らずの子である。
6 正しい者の頭には祝福があり、悪者の口には暴虐を隠す。
7 正しい者の呼び名はほめたたえられ、悪者の名は朽ち果てる。
8 心に知恵のある者は命令を受け入れる。むだ口をたたく愚か者は踏みつけられる。
9 まっすぐに歩む者の歩みは安全である。しかし自分の道を曲げる者は思い知らされる。
10 目くばせする者は人を痛め、むだ口をたたく愚か者は踏みつけられる。
11 正しい者の口はいのちの泉。悪者の口は暴虐を隠す。
12 憎しみは争いを引き起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。
13 悟りのある者のくちびるには知恵があり、思慮に欠けた者の背には杖がある。
14 知恵のある者は知識をたくわえ、愚か者の口は滅びに近い。
15 富む者の財産はその堅固な城。貧民の滅びは彼らの貧困。
16 正しい者の報酬はいのち。悪者の収穫は罪。
17 訓戒を大事にする者はいのちへの道にあり、叱責を捨てる者は迷い出る。
18 憎しみを隠す者は偽りのくちびるを持ち、そしりを口に出す者は愚かな者である。
19 ことば数が多いところには、そむきの罪がつきもの。自分のくちびるを制する者は思慮がある。
20 正しい者の舌はえり抜きの銀。悪者の心は価値がない。
21 正しい者のくちびるは多くの人を養い、愚か者は思慮がないために死ぬ。
22 主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれを加えない。
23 愚かな者には悪事が楽しみ。英知のある者には知恵が楽しみ。
24 悪者の恐れていることはその身にふりかかり、正しい者の望みはかなえられる。
25 つむじ風が過ぎ去るとき、悪者はいなくなるが、正しい者は永遠の礎である。
26 使いにやる者にとって、なまけ者は、歯に酢、目に煙のようなものだ。
27 主を恐れることは日をふやし、悪者の年は縮められる。
28 正しい者の望みは喜びであり、悪者の期待は消えうせる。
29 主の道は、潔白な人にはとりでであり、不法を行う者には滅びである。
30 正しい者はいつまでも動かされない。しかし悪者はこの地に住みつくことができない。
31 正しい者の口は知恵を実らせる。しかしねじれた舌は抜かれる。
32 正しい者のくちびるは好意を、悪者の口はねじれごとを知っている。
選ばれた者たちとは?
キリストと共にいる人たち。何を考えているのか?神の御心を行なうこと。神の御心とは何か?愛と信仰によって闇ではなく、光の中を歩み、神を喜ばせること。どのように?新しく生まれ変わることによって。古い人格、情欲、欲望を殺して。殺すのは誰か?神による。真理の霊による。キリストの弟子たちは聖霊を受ける前と後では全く違う。聖霊を受けた後、完全に変化した。神により新しく生まれた。自分で変化出来るか?出来ない。一人も。イエスを信じる者は神がその人を変化させるか?分からない。なぜなら信じると言いながら、意図的に罪を犯すから。人は誰も罪を犯すのでは?その通り。罪を犯さなくなるときはいつ?神の霊がその人の内に宿っている間。どのような状態?肉ではなく霊の支配下にある状態。恵みのもとにいる人は罪はもはやその人を支配することはない。罪を犯し続ける人は何者?偽り者。御霊を持っていない。しかし、自分で変化出来ないのでは?その通り。救いとは?神に選ばれること。その選びはいつ決まる?母の胎にいるときから。永遠の昔から。福音を聞いて拒絶する人はすでに裁かれている。従わないからそういう運命に定められていた。従う人は?たとえ不完全であってもイエスの完全な犠牲によって救われる。選ばれた者たちは、イエスに従う。イエスの血を振りかけられる目的で永遠の昔から選ばれている。こういう人は真理の霊を受けている。体は聖霊の宮である。罪の傾向を持っているか?持っている。体が購われていないから。しかし、真理の霊によって罪を離れることが出来る。つまり、たとえ恐れや誘惑があっても罪はその人を支配しない。完全に罪自体から解放されるのはいつか?第一の復活後。キリストに似た体に変えられてから。罪を犯せなくなる。キリストの救いの完成。選ばれた者たちはこの希望によっても救われている。