キリスト教は、信じる人に生きている間、夢を与えることができる宗教と言えそうだ。宝くじに当たるような確率?で本当に「永遠の命」が神からいただけるからだ。
だれが、当たるか最後まで分からない。信じない者はくじを買っていないので当たらない。地獄行きというわけだ。
イスラエルの民が、エジプトから救出される「過ぎ越しの夜」があった。子羊の血を鴨居に塗ってあれば、中にだれがいても、助かった。しかし、中にいた者たちは、ヨシユアとカレブを除いてだれも、ふさわしくなかった。
その証拠に、彼らはわがままで、不信仰であったため、当時20歳以上の者たちは、全員、荒野で滅ぼされた。
19歳以下の子供たちとヨシユアとカレブの二人を除いて。モーセに「荒野で殺す気か」と食ってかかった連中はみな、その言葉通り、殺された。
神は奇跡で彼らに御霊を与えなかった。が、マナと水、うずら、すりきれない衣服等を彼らに与えた。
荒野で屍をさらした者たちは、不信仰ゆえに滅ぼされた。彼らは、何度も、何度も神に反逆した。
警告する。神に甘えてはならない。神を畏れよ。おののきつつ従うことだ。
神とイエスさまについて、正しい認識を持たなければならないと思う。
現代の説教は甘すぎる。ただ信じるだけでいいと教える。
本当にそうか?
現実をみよ。
イエスさまが、地上再臨される前に、義人たちは天に強制的に引き上げられる。いわゆる、携挙があり、その後、罪人と悪人は滅ぼされる。彼らの死体を食べに鳥たちの宴会がある。
これらを逃れる道は、キリストの奴隷になること。本当になれる人は幸いだ。義の道はあなたを命へと導くからだ。イエスさまは、彼らを救いに来る。残念ながら、イエスの奴隷以外はアウト。
恐らく、罪を悔い改められるなら、神が罪を清めて、聖霊をお与えになる。この段階で、忠実な者とみなされる。最後まで、忠実であることを示せと言われた人たちだ。
ノアの時代の人たち、ソドムとゴモラの人たちが、もし、幾人かでも回心できた人がいたなら、その人は救われるはずだった。
現代も同じです。
アーメン